ばん馬が船橋競馬にやってきた!(in1991)

敬愛する会社の先輩からの頂きモノをご紹介

 私の勤め先の会社の先輩は、鉄道と競馬と野球に関するものを大事に取っておかれる方で、私がばんえいファンになってからというもの「断捨離」とおっしゃって様々なばんえいの古い品々をゆずってくださいます。どれも私にとっては大変貴重な資料です。4場時代のばんえい競馬をしのぶものなので、いずれいろいろ紹介したいと思うのですが、まずは1991年のばんえい競馬ショーのリーフレットと写真です。
バブル時代のイベントってすごい!開催スケジュール的にも費用的にも、こんな大掛かりなばん馬の関東遠征は二度とできないんじゃないでしょうか。

リーフレットと写真

リーフレット

キャッチコピーから時代を感じます(^_^) 主催は市営競馬組合なんですね。事務所も旭川。 
注目してほしいのは競馬場の開催予定。ロードヒーティングがなかったころ、4場だったころってこんな開催日程だったんですね。
当時からばんえい競馬の解説ってあんまり変わってないなぁ…でも帯広じゃないコース写真が新鮮です
当時のイベント出走表です。馬のイラスト…ちょっと怖いよ~
勝馬投票券は発売しませんという注意書き、なんだかとってもツボです。

パドック写真
撮影したポジを譲っていただきました。自由に使っていいよと掲載許可はいただいております。
なお、ポジスキャンしたデータなので画像の粗さはご容赦ください。

カゲイサム
カゲイサム
ダイテンリュウ
カツラシンザン
カツマサオーカン
フジノミネ

レース風景

左から右にレースするのにものすごい違和感がw
なお撮影日は18日のようで、馬番がリーフと異なります
背景が住宅とビル。奥に6のハロン棒。ばんえいにはない数字です(笑)

船橋にやってきた超豪華メンバー

 何がすごいってでっかいばん馬を5頭もつれてきて、船橋競馬場に1mと1.6mの障害作って、模擬レースやってしまうという豪華さ!バブルだなぁ…。しかもただばん馬を連れてきました、というだけではなく連れてきたメンバーがすごい!カツマサオーカンは第1回のヒロインズカップ勝ち馬、カツラシンザンはこの模擬レースの後に帯広記念を勝っているバリバリのオープン馬。そして…カゲイサム!イレネー記念、ばんえい菊花賞、岩見沢記念等を勝っている競走成績もさることながら、種牡馬として名高いカゲイサム。ニシキダイジンの父、カネサブラックの母の父と言えば、令和のばんえいファンでもああ!となる馬です。カゲイサムは私の大好きなメジロゴーリキの父系祖父になります。そのほかの馬も獲得賞金が全馬1000万越え。実績十分のオープン級です。
 それにしても…さすが1億円馬が出ていた時代。当時賞金高かったんですね。今年のオープン格の賞金が820万以上ということを考えると賞金の高さを知ることができます。同じ8歳牝馬でヒロインズカップ勝ちの2頭…カツマサオーカン(3059万)とシンエイボブ(748万)…かつてこれだけの賞金が出ていたのですから…これからもっと賞金が上がることを切に願います。
 馬もトップクラスなら一緒に来た騎手も豪華!平成2年度のリーディングトップ5です。4場開催でロードヒーティングが入っていなかった1991年当時は、1~3月まで競馬の開催がなく、ショーレースが実施された2月中旬ならば人も馬も船橋まで遠征させることができたのでしょう。(ロードヒーティング設置は1994年から)藤本騎手は若いころからトップジョッキーだったんですね。岩本騎手、久田騎手、金山騎手…今では皆さん調教師として活躍されています。

 このレース、何が勝ったのかは残念ながら覚えていらっしゃらないそうです。そもそも模擬レースなのであまり着順は関係ないですものね。馬券売りませんし(笑)。先輩はこのイベントを告知で知った時、北海道でしか見れないばんえい競馬が見られる、しかもトップホースが来る!見に行かねば、写真を撮らなくては!と気合を入れて撮りにいかれたそうです。私はそもそもその当時まだ競馬ファンじゃなかったので、本当に残しておいてくださったことに感謝です。
 コースを作ること、オープン馬を5頭も連れてくること、リーディング上位の騎手を5名連れてくること、今となってはどれも実現不可能です。本当に素晴らしいイベントだったと思います。