ばんえいトークショー in JRA競馬博物館 2025

今年も矢野さんのトークショーが府中の競馬博物館で開催されました。(昨年のルポはこちら)
昨年もとても楽しかったのですが、今年はさらに面白かったです。お客さんも昨年よりもかなり多くて大盛況でした。15分前に着いたのに、一足先に着いていた私の師匠(前にブログで紹介しております。私のばんえい競馬の師匠です)が席を取ってくれていなかったら座席がなかったくらいです。今年はメムロボブサップが1億円馬になったことで、1億円馬たちの軌跡を紹介する内容でした。
これが本当に面白くて!そのままばんえい競馬とばん馬の歴史を語る内容になっていました。2006年よりも前の4市時代を知っているオールドファンも、最近のファンも納得のトークショーです。矢野さんはキンタローのレースをリアルタイムで見ている人であり、長くばんえい競馬を見続け、愛し続けてきた人だからこそ、話す内容の一つ一つが血が通っている、温かくて濃密な情報にあふれていました。
オープニングではばんえい競馬とサラブレッドの競馬の違いダイジェストCMを流して、ばんえい競馬ってこんな競馬!の説明から。本当にばんえい競馬を知らない人へのアプローチというか優しさを、私はいつも矢野さんに感じています。この優しさ、私の師匠も同じで、ビギナーへの説明をおろそかにしない。とても大切なことだと思っています。
8頭いるばんえい競馬の1億円馬
メムロボブサップがスーパーペガサス以来、19年ぶりに1億円馬になり、現在獲得賞金1億円を超えた競走馬は8頭になりました。この8頭がどれほどすごいのかという事をまずは解説。メムロボブサップ以前の1億円馬についてはこちらに紹介がありますので、興味がある方はどうぞ(1億円達成馬)

ばんえい競馬と中央競馬の賞金の違いからの解説で、1億円獲得するのはどれほどすごいか…という説明からまず始まりました。オールドファンは、ばんえい記念が2000万だって!すごい!となるんですが、たしかに有馬記念の5億と比べると…というかココと比べるのはさすがに…でもJRAのお客さん相手ですものね(笑)
ばんえい記念の昔と今

まず1億円馬と言えば!ということで初代のキンタローの解説から。キンタローが3回目に勝ったばんえい記念のレース映像を映して、金山現調教師から聞いたお話などを交えながら、キンタローの無類の強さを解説してくれました。
そして昔のばんえい記念の「重さ」というかレースの違いを説明してくれました。これが、非常におもしろくて。
・第1障害が一腰(1回もとまらない)で上がらない馬がほとんど!というくらい「重い」
・第2障害を上がるのにキンタローで15腰(15回止まっている)かかっている
・第2障害を降りてからキンタローは一度も止まらない
といった内容の解説でレースを見終えた後、当時主戦だった金山調教師から聞いた話を披露。「キンタローは出脚が良い馬ではなかったけれど、第2障害を降りてから無類の強さを誇っていた」のだそうです。映像で流れたばんえい記念でもキンタローは第1障害では終始後方、第2障害にとりつくのも後ろから。でも障害は4番手で越えて、下りてからの歩きで他を圧倒。こういうレースができるのも、障害がきつくてスタミナを要した昔のばんえい競馬だったからだと思います。
ちなみに…昔は帯広の坂は急坂で、高さも1.7mと今より10㎝高かったのだそうです。非常に厳しい第2障害でした。
ばんえい記念を勝たずに
1億円馬になったアサギリ

矢野さん
色々な1億円馬にまつわるドラマを話してくれたのですが、中でも印象深かったのが「北見の鬼」のふたつ名をもつアサギリのお話。アサギリはばんえい記念を勝たずに1億円馬になった、4市時代でも賞金が高かった頃の名馬です。とりわけ、北見コースの特徴とそれにあったアサギリの脚質の解説を面白く聞きました。北見は第2障害の勾配は緩やかで比較的上りやすい代わりに、最後直線の砂障害(ゆるい傾斜)の高低差が2mもあるという障害はさほど上手くなくてもOK、だけどすごくスタミナが必要…というコースでした。<お話では2mって言っていたように記憶しているのですが、1996年のポケットブックのコース図を見たら高低差1.1mでした。1996年より昔は2mだったのかもしれません。どちらにせよ砂障害が長い距離、結構な勾配がついてあることには変わり有りません>
4市で4場(旭川、岩見沢、北見、帯広)で開催されていたころ、同じ200mかつ障害2つでも、4場ごとに特徴があって、それぞれを得意とする馬がいました。1億円馬ではないのでここではお話は出ていませんが、メムロボブサップの母の父アキバオーショウは旭川が得意なことで知られていました。4場競馬はきっととてもバラエティのある、豊かな競馬を楽しめたことだと思います。
このアサギリの話の他にも、タカラフジに1億円を達成させるために久田騎手(現調教師)をばんえい記念に乗せたいオーナーと、それまでの主戦である西康幸騎手(調教師、2020逝去)に遠慮して騎乗を断っていた久田騎手に、オーナーと西騎手がそろってお願いして、久田騎手が納得して騎乗、そして見事ばんえい記念を勝って1億円馬になった…というドラマなど、1億円馬にまつわるエピソードを色々語ってくれました。
体型と気質が変わった
ばん馬たち
リアルにスーパー!だった、ばんえい記念4連覇のスーパーペガサスも、もちろんたっぷり時間を取って映像付きで語られました。そして、スーパーペガサスは第2障害で何腰いれたか?スーパーペガサスは映像のばんえい記念で10回だそうです。キンタローより5回少ない。そしてスーパーペガサスの後、もし昔と同じ、いえ、今と同じ賞金だったら、きっと1億円馬だったろうという2頭の馬を紹介してくれました。


カネサブラックとオレノココロです。私が最初に見たばんえい記念がカネサブラックのラストランのばんえい記念でしたので、ここまでくると私的にはもう「歴史」ではなくなります。カネサブラックの頃って本当にお金なかったんだなぁ…としみじみ。でも馬はとっても強かったんですよ!オレノココロはもうリアルタイム。どちらかというと私はいつも応援している馬がオレノココロに負けてしまうシーンばかり見ていたような記憶がありますが…。
そしてこの2頭のレース映像を流しながらの解説で非常に面白かったのが、「昔の馬と最近の馬はもう馬体の形が違う。腰が高くてお尻の形が違う。そして気性も変わってきた」というお話。
昔の馬は使役馬の名残があり人に従順なので、人がGOサインを出したら馬が出るという形でしたが、使役馬としてではなく競走馬として生産し競馬に適性がある馬を作ってきたことで、馬の気性が前に前に行くようになってきたのだそうです。おそらく、この話を矢野さんは調教師の皆さんから伺っているのではないかと思います。
確かに、昔のばんえい記念の映像を見ると、2障害下で止めたあと、上り始める時は人のGOサインが出るまで馬はかかって行かないのですけど、カネサブラックのレースを見ていると、2障害下で騎手がGOサインを出す前に馬が掛かって行こうとするのをまだだよっと人が抑えるシーンが見受けられます。そしてカネサブラックの引退レースでは、第1障害はみんなスムーズにクリア。第2障害、カネサブラックは5腰で上げていました。おそらくは2000年を超えたあたりで、大きく馬は変わってきたのではないかと思います。体型の変化についていえば、ベルジアン種が浸透してきたことも大きいのかなぁ…とぼんやりと想像しながら聞いていました。
そしてメムロボブサップ

そしてメムロボブサップのお話になります。あの雪のばんえい記念の映像です。いやもう、キンタローから見ているとこれが同じばんえい記念?と思ってしまうくらい速い速い。ほとんどの馬が一腰で上がっていました。オールドファンには違和感のあるばんえい記念かもしれません。
雪降り馬場ということもありますが、近年のばんえい記念で一腰が珍しくなくなってきた背景は、「坂が10㎝低い」「勾配が昔より少し緩やか」あとは「砂も昔とは違う」…といったいろんな要素も関係していると思います。馬だけではなく、馬場も今と昔で変わっています。2006年に1場になったことが劇的に競馬を変えていると思うのですが、これからどんな風に変わっていくのか…20年後に私は矢野さんのように競馬が語れるかな?と思って改めて素晴らしい語り手だと尊敬しました。
ところで…1億円馬たちの父馬…キンタローの父二世ロッシーニ(フクイチ、ヒカルテンリュウの父系祖父でもあります。スーパーペガサスはヒカルテンリュウの産駒)、タカラフジの父タカラコマ、マルゼンバージの父マルゼンストロングホース、とこれらは全てメムロボブサップの5代血統表に名前があります。メムロボブサップは本当にばん馬の歴史の結晶だな…と思います。
