トップホースの父系を追う~アオノブラックのサイアーライン Vol.3~

 一世を風靡した種雄馬、楓朝の父系で現在唯一残るカズミノルの系統。このカズミノルとはどんな馬だったのか…いろいろ調べてみました。アオノブラックのサイアーヒストリー第3回です。

楓朝の血を繋ぐ種雄馬
カズミノル

カズミノル
ペルシュロン種 青毛 釧路市産 1981年生
父楓朝(ペルシュロン) 
母 クシロタカラ(ペルシュロン)母の父ボルール(ペルシュロン)
1990~1994年 十勝音更町にて供用

種雄馬成績
【産駒数】
血統登録数 141頭
種雄馬登録数 4頭
種雌馬登録数 23頭
※日本馬事協会 登録馬情報より集計

【リーディング】
1997年 2歳 7位
1999年 5歳以上 9位

【主な産駒】
ヨシミノル<1993年 青毛 牡>203戦29勝 オープン
ユウセントップ<1995年生 青毛 牝>126戦19勝 黒ユリ賞3着、オークス3着
ミノルキンショウ<1993年 鹿毛 牡>174戦19勝 種雄馬:ケンジュオーの父
ブラックジョージ<1995年生 青毛 牡>112戦8勝 種雄馬:ホクショウユウキ(岩見沢記念、柏林賞、はまなす賞、銀河賞、天馬賞)、ショウチシマシタ(イレネー記念)、ホクショウジャパン(ヤングチャンピオンシップ)の父


 楓朝は35頭もの種雄馬を残しましたが、現在の現役馬に父系で血を繋げているのはカズミノルの系統だけです。
 2019年のばんえい記念に、B2クラスで出走して話題になったドルフィンが、キョウエイダイコーマサルダイコーエンゼルと連なるサイアーラインの産駒として現役でしたが、その後この父系は途切れています。
 カズミノルはアオノブラックに繋がるサイアーラインでも鍵になるような種雄馬です。しかし1980年~90年代の重賞未勝利馬は、なかなか情報が手に入らず四苦八苦しておりました。かろうじて日本馬事協会の登録情報と、地方競馬成績書が、カズミノルの姿を浮かび上がらせてくれます。
 ただ、閲覧できる資料としてのカズミノルは残っていませんが、そう昔の馬ではありません。カズミノルの馬主さんは長沢廣茂氏。先日引退した希代のアイドルホース、ブチオの馬主さんです。長沢氏はオーナーブリーダーで、かつてカズミノルが繋養されていた長沢農場は、2019年にメグミファームと屋号を変え、今はブチオが繋養されています。そして多くの活躍馬を競馬場に送り出しています。代表産駒はオークス馬ダイヤカツヒメです。23年7月に発行されたばんえい競馬の広報誌「ポムレvol.25号」の14Pに、ブチオの近況とともにメグミファームの紹介記事があります。お持ちの方はぜひ読んでみてください。
 今回は入手できた活字をまとめた記事だけですが、いつか、許可をいただけるならブチオの見学(できたらいいなぁ!)と一緒に、カズミノルがどんな馬だったのか、お話を伺ったり、お写真を見せてもらってこのブログの系図に加筆できればいいなと思っています。

カズミノルの血統

 母クシロタカラ(1977年生 青毛)の父ボルールは仏国産のペルシュロン種です。日本馬事協会所有の大柄な青毛で、釧路地方で供用されていました。代表産駒のハイスピードは競走馬としても重賞10勝。種雄馬としても優秀で、トツカワのコラムで紹介したヨウテイクインや、ダイヤキャップ(帯広記念、岩見沢記念他)等、多くの活躍馬を送りました。また、2016年のばんえい記念馬フジダイビクトリーの祖母の父でもあり、活躍馬の血統表でよく見かける名種雄馬です。
 クシロタカラの母の父はウルバン。ウルバンについてはメムロボブサップのサイアーヒストリーの冒頭に登場しました。メムロボブサップのサイアーヒストリーでタンブーと楓朝のことをたびたび紹介したように、60~70年代の仏国産輸入ペルシュロンの種雄馬は今の活躍馬の5~6代前のどこかに名前を見つけることができます。(クシロタカラの馬名に5代血統表のリンクを貼っております)

 クシロタカラの半弟にはブルホウショウ(1983年生 父第二オデオン 種雄馬)という2歳戦で活躍した馬がいますし、カズミノルの全弟カネミノル(1982年生 青毛 種雄馬)も2歳戦で成績を残したところを見ると、カズミノルは母系から早熟の資質を受け継いだものと思われます。



■改良ペルシュロン
 クシロタカラは民間牧場で生産されたペルシュロン種です。母釧優もペルシュロン種となっていますが、日本馬事協会の5代血統表を見ると釧優の母の父母は不詳となっています。実は民間牧場で保有していたペルシュロン種の繁殖牝馬の多くは改良ペルシュロンです。
 重種はサラブレッドなどの軽種と異なり、5代同一種を掛け合わせるとその品種として認められます。見た目も能力もほぼ純血種と変わらなくなるためです。(能力重視とも言えます。ヒカルイマイやヒカリデュールが重種なら純血種扱いです)。
 1970年代の民間保有の繁殖牝馬は、数代遡るとアングロノルマン、トロッター、ハクニーと言った明治、大正期に導入された洋種などが入り交じった馬がいることが普通でした。もとより農耕や馬搬で使役されていた馬達なので、厳密に血統は問われなかったのです。そのため、血統不詳の馬にペルシュロン種を続けて交配し、ペルシュロン種に戻したのが改良ペルシュロンです。今から半世紀くらい前の重種の生産では、雑種強勢のために異種を掛け合わせF1(雑種一代)を作るという目的以外に、「その品種にする」ための配合も存在しました。
 なお、クシロタカラの場合不詳とあっても日本馬事協会の登録が無いだけ、あるいは反映されてないだけという可能性もあるので、クシロタカラが改良ペルシュロンであるとは断言できないので、これはおまけのお話として読んでいただけると幸いです。

競走馬 カズミノル

 カズミノルの競走成績を調べることは、1980年代、四市競馬時代の競馬を知るにはいい機会だと思いまして、少し粘着質に?!数字を集めてみました。
いや、単純にせっかく地方競馬競走成績書をJRAの図書室まで探しに行ったので載せたかったんです。冗長なので、興味のある方だけ内訳を開いてみてください(笑)

カズミノルの競走成績

生涯戦績 152戦30勝 2着15回 3着4回
総獲得賞金 24,853,500円
競馬場別勝ち鞍 帯広14勝 岩見沢14勝 旭川2勝 北見0勝

1983年 2歳時:18戦4勝 2着4回
出走重賞 イレネー記念 5着(1着トカチヤマ)
出走馬体重 826㎏~851㎏

1984年 3歳時:18戦2勝 3着2回
出走重賞
ばんえい優駿 5着(1着タカラフジ)
ばんえい文月賞 5着(1着ヒカルタイショオ)
ばんえい大賞典 8着(1着セイフウ)
出走馬体重857㎏~893㎏

1985年 4歳時:23戦6勝 2着4回 3着1回
出走重賞 
地方競馬全国協会会長賞 9着(1着タカラフジ)
ポプラ賞 5着 (1着タニノヒメリュー)
出走馬体重904㎏~942㎏

1986年 5歳時:16戦2勝 2着2回
出走クラス:1300万未満
出走馬体重903㎏~924㎏

1987年 6歳:16戦3勝 2着1回
出走クラス:1300万未満
出走馬体重890㎏~925㎏

1988年 7歳時:20戦3勝 2着3回
出走クラス:1000万未満~1300万未満
出走881㎏~935㎏

1989年 8歳時:22戦5勝 3着1回
出走クラス:700万未満~1000万未満
出走883~920㎏

1990年 9歳時:19戦5勝 2着1回
出走クラス:800万~1300万
出走927㎏~956㎏

1991年4月3日登録抹消

 引退時のクラスは今で言うA1クラスでした。当時は賞金が高く、同期で走ったタカラフジは1億円馬になっています。
 2歳の新馬戦を勝ち、青雲賞、イレネー記念に出走しており、3~4歳時には世代戦の常連として出走しているので、早い段階で完成している馬でした。ただ、同時に9歳時に馬体重を一気に増やして夏場に5連勝し、1300万特別を3連勝しています。世代戦終了後もコンスタントに勝ち続けているので、早熟であったものの、成長力もあった馬だと言えます。
 1着を取った時の条件を見ていて、特筆するべきは帯広と岩見沢を得意としていたことです。旭川の2勝はいずれも2歳時のもので、3歳以降は旭川でも勝ちが無く、北見は0勝で上位入着も2着が1回あるだけです。
 そして、良績は春~夏に集中しています。9月以降の勝ち鞍の多くは軽馬場でのものでした。8歳時岩見沢で620㎏の斤量で1.20.8秒(馬場水分量1.2%)での時計があります。そして高重量は苦手だったらしく、770㎏での勝ちが最高重量で、780㎏以上では勝てていません。
 成績書からは基礎重量が軽い春~夏に活躍し、スタミナ勝負より、スピード勝負が得意だったことが伺えます。



■4場の特徴
 私の手元に北海道市営協議会が1996年にファン配布用に作ったばんえいポケットブックがあり、ここには各場の特性が記されています。引用すると下記の通り。カズミノルの競走成績は競馬場の特徴を見事なくらい反映しています。

・旭川コース
(第一障害1.0m/第二障害1.6m)
砂の粒子が粗く、しまりにくいため全体的に重く力を要するコース。また、障害からゴールまでの距離が長く、馬のスタミナが勝敗を左右する。

・帯広コース
(第一障害1.0m/第二障害1.6m)
障害の交配がきつく、また障害からゴールまでの距離が短いため、登坂力がものを言うコース。スピードのある先行馬に有利。

・北見コース
(第一障害1.1m/第二障害1.45m/ゴール前勾配上がり1.1m)
障害は比較的ゆるく上りやすいが、障害からゴールまでがゆるやかな上りで、距離も長いため力を要するコース。パワーのある馬に向いている。

・岩見沢コース
(第一障害1.1m/第二障害1.7m/ゴール前勾配上がり0.7m)
障害は最も高いが砂の粒子が細かく比較的上りやすい。また障害からゴールまでの距離が短いため、スピードのある馬に有利なコース。

今は帯広1場開催。帯広を得意としたスピードタイプのカズミノルの系統が残っているのは、なるほどと思わされます。

種雄馬 カズミノル

 冒頭で書いた通り、カズミノルは引退後、音更町の長沢農場で種雄馬になりました。5年の供用期間で140頭余りの血統登録馬を残したのはかなり優秀な繁殖成績だったのではないかと思います。
 代表産駒はユウセントップ(1995年生 青毛)。黒ユリ賞3着、ばんえいオークス3着、クインカップ4着と世代牝馬のトップクラスで活躍しました。その他ヨシミノル(203戦29勝 青毛)がオープンまで出世しています。勝ち鞍のある産駒は一様に3歳時から結果が出ています。

 楓朝の後継種雄馬の多くは、代表産駒であるキヨヒメ、キョウエイのように、スピードで勝負するより、高重量のスタミナ戦で活躍する馬の方が多かったのではないかと思います。得てしてこのタイプは晩成です。そのような「楓朝らしさ」は2歳の能力検査を通過し、世代戦で活躍するには不向きだったろうと思います。特に、10歳定年(当時は定年制)までしっかり活躍して種雄馬になった馬ほどその傾向があったのではと推測します。
 その点、カズミノルは自身も早から活躍していましたし、母系は早熟な傾向にありました。産駒にもそれはよく伝えていたようです。

 カズミノルは4頭の後継種雄馬を残しました。その中で一番活躍馬を出したのはブラックジョージです。競走成績は112戦8勝。重賞未出走と特筆すべき点はあまりないのですが、3歳新馬の時で937㎏、現役時マックスで1116㎏と非常に馬格があり、種雄馬としては良績を残しました。血統登録産駒は119頭、その中からホクショウユウキ(岩見沢記念、4歳3冠、はまなす賞)、ショウチシマシタ(イレネー記念)、ホクショウジャパン(ヤングチャンピオンシップ)、と3頭の重賞勝ち馬を送り出しています。重賞勝ち馬がいずれもサイアーラインを繋げなかったのが残念です。
 ブラックジョージ産駒から唯一種雄馬になったのはグレイトアマゾンです。実はこのグレイトアマゾン産駒の数少ない競走馬に、私の推し馬の1頭マルホンキンカがいます。私がカズミノルにこだわっているのは、推しの父系でもあるためなのです。

 ブラックジョージとともに、カズミノルの血を次世代へつないだもう1頭が、アオノブラックの父系祖父になるミノルキンショウです。(次回ミノルキンショウへ続く)



 できうる限り努力はしておりますが、個人サイトでございます。筆者が夜なべして書いているもので、引用ミスや誤字脱字などいろいろあると思います。だいたい9割本当。ぐらいのおおらかな気持ちでコラムに接していただき、誤字脱字を発見した場合は脳内変換を駆使して読了後、ひっそりと校正をメッセージで送っていただけると幸いです。何卒宜しくお願い致します。

参考資料

 種雄馬のコラムについては以下文献やサイトをもとにテキストを書いています。★印のついているものは現在ネット上から閲覧できるものでリンクを貼っています。

ばんえいスタリオンズ vol.4 田島芳郎著
地方競馬全国協会機関広報誌「ハロン」1997年8月号連載

日本馬事協会 登録馬情報 

・日本競馬の歩み<資料編>田島芳郎 著
2009年 ㈱サラブレッド血統センター発行

・北海道種雄馬名鑑 思い出の名馬三十年史

・地方競馬競走成績書 
地方競馬全国協会発行

・地方競馬 1984年 7月号/9月号/11月号
地方競馬全国協会発行(Furlongの前身にあたるNAR広報誌)

・ばんえいポケットブック 1996年版 
北海道市営協議会発行

・ポムレ Vol.25
2023年7月 帯広市農政部ばんえい振興室ばんえい振興課 発行