トップホースの父系を追う~アオノブラックのサイアーライン Vol.1~

2023年ばんえい記念パドック(筆者撮影)

メムロボブサップのサイアーヒストリーからずいぶん間をあけてしまいました。そして現在進行中で調べものしているので、更新が馬場水分量0.5%のばんえい記念並みにゆったりしていると思いますが、どうぞ懲りずにお付き合いください。そして、今回も努力至らず調べた内容や引き写しにミスや漏れがある場合もございます。ご容赦の上、何かございましたらご指摘いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。


 
 アオノブラックの父系をたどっていくとケンジュオーミノルキンショウカズミノル楓朝タンブーとたどることができます。第一回はアオノブラックのサイアーラインの国内スタート地点、タンブーについての紹介です。

数多くの名牝系を産み出した
名種雄馬 タンブー

タンブー 芦毛 仏国産 1963年生
体高169㎝ 胸囲237㎝ 管囲30.5㎝
父オレジスト(ペルシュロン) 母ロクエル(ペルシュロン)
1966~1972年 十勝支庁音更町十勝種畜牧場にて供用

  タンブーは十勝種畜牧場(現家畜改良センター十勝牧場)がフランスから輸入したペルシュロンです。フランスのオルヌ県で生まれ、3歳で来日し4歳から供用されました。体重は種畜牧場に入場したときで820㎏、最大時で1040㎏。
体高が170㎝に満たないにも関わらず、最大時の体重は1000㎏を越えているところを見ると、幅と骨量のある馬だったのだと思います。大柄なマイエンネ系ペルシュロンのウルバンと比較して体高はも8㎝低いにもかかわらず、胸囲は1㎝、管囲(前脚の膝と、球節の中間の周囲)は2.5㎝上回っていることでも察する事ができます。

 タンブーはメムロボブサップのサイアーヒストリーで紹介したウルバンとほぼ同じ時期に供用されています。1960年代の中盤から70年代にかけて活躍した原種の種雄馬の多くが、現在のばんえい競走馬の基礎となっています。

 腰を悪くして、10歳までしか供用できなかったため、産駒数が少ないのが残念です。
しかし、血統登録馬のほとんどが繁殖登録されており、楓朝という偉大な種雄馬を残した他、産駒の種雌馬からも牝系が発展し、数多くの名馬達にタンブーの血が伝わっています。ただ、民間に精液を配布することが少なかったため、競走馬になった産駒はごくわずかです。

タンブーの種雄馬成績
血統登録数:43頭
種雄馬:11頭
種雌馬:30頭

主な産駒
コマバ<1969年生 芦毛 セン> ばんえい優駿 岩見沢記念
ハクリュウ<1972年生 芦毛> 農林水産大臣賞(現ばんえい記念) 岩見沢記念2回

名馬の祖。タンブー産駒の種雌馬たち

【朝旦(母の父ロジ)】
孟潮(メムロボブサップの4代父)の母。朝旦の牝系についてはメムロボブサップのサイアーヒストリーで詳しく触れています。

【礼旦(母の父ロジ)】
ウンカイ(3歳三冠・種雄馬)・アンローズ(重賞10勝)兄妹の母系3代母
コーネルトップ(重賞8勝・種雄馬)の母系祖母

【川旦(母の父ロジ)】
シャトルシンザン(重賞3勝・種雄馬)の母系3代母
シンエイボブ(カーネーションC)・メムロボブサップ(現役賞金王)姉弟の母系5代母

【北太(母の父ロジ)】
スーパーペガサス(ばんえい記念4勝を含む重賞20勝)の母系4代母
ニュートリノ(種雄馬)・インディボクサー(種雄馬)の母系3代母

また、タンブーの血を濃く持つ名馬としては、フクイズミ(帯広記念など重賞12勝)もいます。馬名に5代血統表のリンクを貼りましたので見ていただけるとわかりやすいと思います。フクイズミの母ヘイセイシルバーは楓石川旦を通してタンブーのS3×M4(父三代目、母4代目に同じ馬がいる近親交配)を持っています。

次の回で紹介する楓朝も、タンブーのもう一頭の代表的な種雄馬楓石も、母の父はロジ(1955年生 芦毛)。ロジもまた、十勝種畜牧場が仏国から輸入、供用したペルシュロン種です。こうしてみるとタンブーとロジは非常に相性の良い種雄馬だったと言えると思います。

タンブーの代表産駒
雑種強勢の雄 ハクリュウ

ハクリュウ(デビュー前)
父タンブー 母九陣 母の父ジム
北海道馬産史編集委員会発行「蹄跡」 
P709より転載
市営協議会会報 Vol.13 1982年発行
競走馬時代のハクリュウ

 タンブーの種雄馬としての代表産駒が楓朝ならば、競走馬としての代表産駒はハクリュウです。ハクリュウの通算成績は107戦37勝。3歳時にばんえい大賞典、ばんえい菊花賞、ばんえいダービーと3つの重賞を取り、農林水産大臣賞(現ばんえい記念)は6歳時、岩見沢記念は5歳時と7歳時に2度制した名馬です。デビュー前の写真と、競走馬時代の写真と両方見つけることができたので、2枚とも掲載します。

 日本馬事協会の登録馬情報を見ると、タンブーの交配相手はほぼ十勝種畜牧場の生産馬のため、ほとんどが漢字二文字で命名されたペルシュロン種かペル系種(75%以上特定品種の血量を持つと「系種」)です。その中で4頭だけ半血種の牝馬と交配しています。供用晩年の71年に2頭、そして76年に2頭です。76年の2頭は民間牧場の生産で、凍結精液による人口受精だと思われます。

 この4頭のうちの1頭の産駒がハクリュウです。純血種の繁殖馬を配布することを主たる目的として生産を行っている十勝種畜牧場で、異種間の交配は非常に珍しいのですが、ハクリュウの場合特殊な事情があったものと思われます。

 というのも、ハクリュウは人工授精による生産馬だからです。

 凍結精液による馬の人工受精は、農林省畜産試験場と京都大学の共同研究で進められていて、十勝種畜牧場は受精試験を分担する形で協力するために、1968年から人工授精による生産を開始していました。
 採精、凍結、保存、融解、受精に至る一連の試験を行い、成績を蓄積。これらの試験成績がおおむね良好で、引き続きデータを取りながらも、一般にも実用化しだしたのは1971年からです。ハクリュウは1972年生。ちょうど他機関へ凍結精液の配布を開始した年の配合馬です。
 ちなみに…この時期種畜牧場が凍結精液に供用した種雄馬には鉄鯉、タンブー、ウルバン、と私がブログで取り上げた種雄馬の名前が見えます。

 ハクリュウの母、九陣の父ジム(1953年生)は種畜牧場が導入した仏国産のブルトン種雄馬です。ハクリュウはその血統から種畜牧場の貸付種雄馬としては適さず、民間に払い下げられて競走馬となりました。

 雑種強勢という言葉をご存じでしょうか?異なる品種をかけ合わせた時、その1代目が元の品種より生育や大きさ体質などで優れた資質を表すことが多いというもので、ばんえい競走馬の改良はこの雑種強勢を求めてきたところが多分にあります。ばんえい競馬が長らく競走馬と種雄馬を分けて生産してきた理由の一つが、この雑種強勢の理論です。
 官営牧場が、仏国から厳選して導入した優秀なペルシュロン種とブルトン種の種雄馬を、父と母の父に持ったハクリュウは、まさに雑種強勢を体現した競走馬でした。ブルトンの早熟性とスピード、ペルシュロンの馬格とスタミナを併せ持ち大活躍したのです。

 引退後は高額で取引されて大きな期待とともに種雄馬入りをしたのですが、期待ほど産駒は活躍しませんでした。重賞勝ちは第一回ヒロインズカップの勝ち馬カツマサオーカンしか見当たりません。(カツマサオーカンは船橋競馬のデモンストレーションレースに来ています)種雄馬となったのは3頭のみで、ハクリュウからタンブーのサイアーラインは現在につながりませんでした。

 タンブーのサイアーラインは名種雄馬楓朝によって現在に伝わります。(次回、楓朝に続く)



資料提供と取材協力
 今回の記事を書くにあたって、ばんえい競走馬の生産牧場関係者の方々から多大なご協力をいただきました。そしてばんえい十勝様より今回も写真をお借りしております。記事制作にご協力くださいました皆様にはこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

参考資料

 種雄馬のコラムについては以下文献やサイトをもとにテキストを書いています。★印のついているものは現在ネット上から閲覧できるものでリンクを貼っています。

ばんえいスタリオンズ 田島芳郎著
地方競馬全国協会機関広報誌「ハロン」1997年5月号~1998年5月号連載

日本馬事協会 登録馬情報 

★ばんえい DRAFT RACE
市営協議会会報 vol.13

・日本競馬の歩み<資料編>田島芳郎 著
2009年 ㈱サラブレッド血統センター発行

・北海道種雄馬名鑑 思い出の名馬三十年史

・蹄跡~つめあと~
1983年 北海道馬産史編集委員会発行

写真提供:ばんえい十勝
種雄馬の写真とハクリュウの競走馬時代の写真はばんえい十勝広報様よりご提供いただきました。
無断転載はせず、掲載写真については、ばんえい十勝広報までお問合せ下さい。

※ハクリュウのデビュー前の写真は1983年発行の馬産史書籍からの転載です。