タカラコマ~名競走馬から名種牡馬へ。日輓種の確立に寄与した先駆者

※写真の無断転載は厳禁です。よろしくお願い致します。

タカラコマ 体高178センチ/胸囲235センチ/管囲29.0
半血種 網走市産 1968年生 1976年~1983年供用
父:ケルネヴェーズ(ブルトン種) 母:宝(重系)母の父:富士(ペル系) 

種雄馬と競走馬を使い分けていた
ばんえい競馬

 種雄馬紹介はタカラコマで最終回になるのですが、これまで「二世ロッシーニ」「鉄鯉」「マルゼンストロングホース」「ジャンデュマレイ」とこれまで紹介してきた馬は、いずれも純血種であり、かつ競走馬歴がない馬達でした。
 ばん馬は種雄馬と競走馬を分けて育成することが主流だったのです。去勢して扱いやすくしたい、雑種強勢(異種間の配合は優れた資質を生むという理論)は一代限りのもので、種雄馬として疑問があるという思考などが、その背景にあります。

 今でこそ種雄馬の多くは競走馬ですが、この流れを作ったのがタカラコマです。素晴らしい競走成績を残して引退後、種雄馬として大活躍し、後に続く競走経歴馬の種雄馬たちの可能性を生産者に示しました。
 タカラコマの初年度産駒がデビューした1979年から、競走経歴馬の種雄馬名は血統名ではなく競走名を使うことになったため、産駒の血統書の父馬欄は「家宝」から「タカラコマ」に訂正され、出走表にも父馬名がタカラコマと表記されて、ファンにもわかりやすくなりました。つまりそれほど、種雄馬と競走馬が"別モノ"だったのです。

 タカラコマの父ケルネヴェーズはブルトン種の種雄馬としてはおそらく最大の体躯の持ち主でした。母の宝はペルシュロン系の種雄馬の産駒です。タカラコマはブルトン種とペルシュロン系の良いとこ取りに成功した馬で、体高も胸囲もベルジアン種に劣らない雄大なものでした。そしてタカラコマの競走能力は本馬一代で絶えることなく、産駒たちに引き継がれました。

競走馬タカラコマ

 ではタカラコマはどのような競走成績残したのか…当たれる資料があったので調べてみました。
50年前のばんえい競馬のオープンクラスがどのような条件だったのか、賞金がいくらくらいだったのか、タイムはどのくらい?そんなレース事情も知ることができて面白いと思います。同一レースの資料ですが、競馬場、天気、馬場状態、出走頭数は昭和45~49年の「地方競馬成績書」を、レース名とレース条件、斤量、賞金、2着馬の情報は田島先生が編纂された「日本競馬の歩み<資料編>」を元に記載しています。なお、二つの資料は日付と競馬場でつき合わせて確認しています。
 古いレースの資料なのでいくつか前置きを書きますと…(前置き長くてすみません)
・馬齢はすべて現在の数え方に直しています。
・昭和は西暦に書き替えています。(昭和、平成、令和とこれだけ年号をまたぐと、和暦よりわかりやすいかと思いました)
・メモ書きは調べていてへええ!となった事柄です。親子による同一重賞制覇というのはタカラコマとその産駒が初めて成し遂げたことではないかと思われます。
・+72、または+73は騎手重量です。昔は別換算でした。(72が規定で、72+1.5というような書式で規定オーバー分は0.5㎏単位で成績書に記載されていました)
・1970年までは木製ソリが使用されていて、1971年から鉄ソリが採用されています。
・1960年~1973年までは馬場状態は水分量ではなく「軽」「稍軽」「稍重」「重」と表示していました。水分量が%表示になったのは1974年からで、地方競馬成績書には1974年以降馬場状態の記述はありません。

タカラコマが勝った特別レース及び重賞

1970.7.6 知床杯(北見:2歳)
晴 重 7頭 斤量380+72※ 
3.14.8(着差21.2 2着斤量380+72)賞金10万
※木製ソリ約130㎏含まず

1970.7.18 コブシ賞(岩見沢:2歳)
晴 やや重 9頭 斤量390+72※ 
2.25.1 (14.3 2着斤量380+72)賞金15万
※木製ソリ約130㎏含まず

1970.8.1 イレネー記念(帯広:2歳)
曇 軽 9頭 斤量410+72※ 
2:01.7 (着差8.3 2着斤量390+72)賞金15万
※木製ソリ約130㎏含まず
メモ>イレネー記念が重賞賞金相当(150万)になるのは1975年から。

1972.6.18 北見市長賞
(北見:内国産3~9歳及び10歳騸) 
曇 やや重 8頭 斤量852+72 
2.41.8(着差23.7) 賞金27万
メモ>2着シャリイチは1971、1972年ばんえい記念馬

1972.7.2 マロニエ賞
(岩見沢 内国産2~9歳及び10歳騸)
曇 軽 10頭 斤量902+72 
2.53.5(着差1.1) 賞金45万円

1972.10.21 市営競馬20周年記念
(旭川:内国産A1~2)
雨 軽 10頭 斤量1012+72 
3.08.8(着差2.8)賞金100万

1973.6.10 地方競馬全国協会会長賞
(旭川:内国産3~9歳)
曇 重 10頭 斤量892+72 
4.04.9(着差16.5)賞金100万
メモ>2着シャリイチは1971、1972年ばんえい記念馬

1973.6.23 マロニエ賞
(岩見沢 内国産2~9歳及び10歳騸)
曇 重 8頭 斤量832+72 
2.47.8 (着差1.1)賞金50万

1974.5.12 ナナカマド賞
(旭川:内国産5歳以上)
晴  6頭 斤量732+73 
1.58.3 (着差0.2)賞金90万
メモ>ナナカマド賞が2歳重賞になったのは1978年から 

1974.5.19 北海道知事賞
(旭川:内国産5~12歳)
晴  8頭 斤量772+73 
2.26.4(着差7.4)賞金90万

1974.6.9 旭シルバーカップ
(旭川:内国産2~9歳及び10歳騸)
晴  8頭 斤量832+73 
2.00.3(着差0.5)賞金150万
メモ>2着ダイニミハルは1974年ばんえい記念馬で、牝馬で唯一の勝ち馬

1974.9.16 北見市長賞
(北見 内国産3~9歳及び10歳騸)
晴   10頭 斤量842+73
3.02.2(着差0.1)100万
メモ>1986年に同レースは復刻。勝ち馬は産駒タカラフジ


全成績と獲得賞金
1970年(2歳)
15戦 7勝 2着5回 3着2回 着外1回
賞金1,173,000円

1971年(3歳)
14戦 9勝 2着2回 3着1回 着外2回
賞金1,665,000円

1972年(4歳)
22戦 6勝 2着3回 3着2回 着外11回
賞金2,901,000円

1973年(5歳)
26戦 5勝 2着3回 3着0回 着外18回
賞金3,450,000円

1974年(6歳)
16戦 4勝 2着4回 3着0回 着外8回
賞金7,060,000円

合計  93戦 31勝 2着17回 3着5回 着外40
総収得賞金 16,249,000円


 成績を眺めると、早熟で2歳、3歳で圧倒的に強かったことがわかります。特に2歳のレースでは2着の斤量も記載しましたが、10㎏~20㎏重くても快勝しています。そして4歳で出走した北見市長賞では、ばんえい記念馬相手にを23.7秒も離して圧勝しています。ただ、更なる活躍を…という7歳時に腰を痛めてタカラコマは早期引退しました。

 昔のレースの資料を見ていて驚くのはばんえい記念以上の斤量の重賞があったことです。1972年にタカラコマが出走したレースの全タイムを見ると、1分台のレースは1レースも無く、一番時計のかかっているレースでで5分38.5(帯広競馬場3着)!かなりスタミナとパワーの要るレース体系だったようです。
 そして賞金についてですが、重賞に100~150万出ているのはかなり高額ではないでしょうか?参考までに同時期の南関重賞を確認すると、1972年のハイセイコーが勝った大井の青雲賞の賞金が800万円でした。

※加筆修正
「ただ、参照した2つの資料の中で、斤量に大きな食い違いがありどちらを記載しようか非常に迷ったのですが…ここでは田島先生の資料を優先しています。(かかっているタイムから推測するに田島先生の編纂した資料の方が正しそうなのです。斤量にある端数も謎?なので折を見て問い合わせてみよう思います)」
お問い合わせをする機会を得ることができました。
『当時の主催者はソリの重さ242㎏を加えず、積載する重量物の重さだけを発表していました。』
とのことで、地方競馬成績書の重量に242㎏足すと日本競馬の歩<資料編>と数字が合います。なるほど~!
スッキリしました(笑)昔は騎手重量もソリ重量も別換算だったのです。ばんえいが「荷物を曳く競技」ということがこのことからもうかがえます。

種雄馬タカラコマ

 つづいては種雄馬としてのタカラコマの成績です。
■ リーディング
2歳 1980年~1981年、1984年~1985年
3・4歳 1982年~1984年、1986年
5歳以上 1984年

■主な産駒(生年):重賞勝ち鞍(今はない重賞レースは割愛して、他としています)
シマノエミー(1977):ばんえいオークス
ヤマトウンリュウ(1978):旭川記念、北見記念、ばんえい大賞典他
タカラショウリ(1979):ばんえい大賞典、ばんえいダービー
リューセイヒメ(1979):ばんえいオークス他
タカラタイトル(1980):ばんえい大賞典、ばんえいダービー
クロタカ(1980):イレネー記念、ポプラ賞
タカラマルミ(1980):クインカップ
タカラフジ(1981):ばんえい記念、ばんえいグランプリ、帯広記念(2回)、北見記念、岩見沢記念、チャンピオンカップ、ばんえいダービー他
ダイアナヒメ(1983):黒ユリ賞、ばんえいオークス

産駒数
血統登録馬数:704頭 種雄馬:50頭 種雌馬:283

 タカラコマは、後躯の不調が悪化し15歳の若さで亡くなったため、供用期間はわずか8年間でした。その8世代でこれだけの産駒数、生産頭数を残したということが、初年度からどれだけ活躍馬を出したかがわかります。産駒はいずれも父に似て早熟で能力検査の合格率が高く、世代戦で目覚ましい活躍を見せました。

 代表産駒は何といってもタカラフジです。早熟馬が多い中、タカラフジはばんえい記念を始め古馬重賞タイトルを多数獲得し、ばんえい史上7頭しかいない1億円馬になっています。ばんえい馬主協会のサイトに戦績と立写真がありますので、ぜひ一度ご覧ください。半弟にばんえい記念馬、ニューフロンテヤ(ジャンデュマレイの回で紹介しています)いとこにダイヤテンリュウの母、トツカワがいる名血統馬です。

タカラコマが残したサイアーライン

カクセンキング、ゴールデンフジの生年の隣にある
()内は引退時の最終格付けです。

 ではタカラコマの父系は今にどうつながっているか…なのですが、残念ながら直系は先細りの傾向にあります。クロタカエビスカチドキオイドンホクショウマサルにつながるラインが一番発展する可能性があったのですが、<悲しいことにオイドンも★>ホクショウマサルも早世してしまい、産駒を残すことがかないませんでした。ただ、直系の父系ではありませんが、クロタカ産駒のスターシンザンネオキングダムの母の父となっています。活躍しているクイーンヴォラフォルテシモ姉妹の母やアーティウイングの母の父でもあり、これらの活躍牝馬からタカラコマの血を繋いでいくことになると思います。
 名馬タカラフジの直系では現在カクセンキングが種雄馬として登録があり、2022年に8頭の血統登録産駒がいます。今後カクセンキングから活躍馬が出てくれれば…と思います。今後産駒が出てくるタカラコマ系の種雄馬としてはゴールデンフジの血統登録産駒が2022年に11頭います。
 

★産駒がいないだけで、オイドンは生産牧場である(有)帯広ファームで功労馬として元気に余生を送っています(2023年8月現在)誤認して記載しておりました。大変申し訳ありません。訂正いたします。

タカラコマのインブリードを持つ
オープン馬

 最後にタカラコマの5代インブリードをもつオープン馬(22年9月2日現在)を紹介します。
クロタカ、タカラフジはかなりの頭数産駒を残した上、タカラコマ産駒の牝馬も280頭以上繁殖にあがっているので、現在もタカラコマの血をもつ馬が多数います。インブリードの見方は今までの記事同様で、SがSireで父方。DはDamで母方。数字は何代前かを表します。このページでも馬名に日本馬事協会の5代血統表のリンクを貼りますので、よろしければご確認ください。

メムロボブサップ S5×D5
アオノブラック S5×D4
オーシャンウイナー S4×D5
サクラヒメ S5×D5
シンエイボブ S5×D5

また5代までにタカラコマの血をもつ馬は以下の通り
アアモンドグンシン D5
ミノルシャープ S5
マツカゼウンカイ S4
キングフェスタ D5
ゴールドハンター S5
コマサンブラック D5
キョウエイリュウ D5
コマサンエース D5
アーティウイング D4

 持っていない馬のほうが少ないのはこれまで紹介した種雄馬と同様です。タカラコマはスピードと早熟性を今のばん馬たちに伝え、現在のばん馬たちに大きな影響を与えています。

 ばんえい競馬が興行としてなりたち、競走馬にすることを主な目的として重種馬が生産されるようになって行く中で、タカラコマはターニングポイントになった馬でした。「競走馬名=血統書名」となった年に初年度産駒が大活躍したことは、とても大きな意味があったのではないかと思います。
 

参考資料と写真提供

・ばんえいスタリオンズ 田島芳郎著
地方競馬全国協会機関広報誌「ハロン」1997年5月号~1998年5月号連載

★ばんえい DRAFT RACE
市営協議会会報 vol.2~19

・北海道種雄馬名鑑 思い出の名馬三十年史 

・日本馬事協会 登録馬情報 サイト

私設ばんえい競馬資料館 サイト

・日本競馬の歩 資料編 田島芳郎著 平成21年発行

・地方競馬成績書 昭和45~49年 地方全国競馬協会

種牡馬写真提供 ばんえい十勝
種雄馬の写真はばんえい十勝広報様よりご提供いただきました。
掲載写真については、ばんえい十勝広報までお問合せ下さい。

※数え間違い、引き写しミスなど調べもの、あるいは誤字脱字など様々な間違いがあるかもしれません。ご指摘ありましたら確認・修正いたしますので、何かありましたら「お問い合わせ」フォームからメールをいただけますと幸いです。