トップホースの父系を追う~アオノブラックのサイアーライン Vol.2~
アオノブラックのサイアーヒストリーの第二回は大種雄馬楓朝を紹介します。今回は(も)ボリュームたっぷりです。代表産駒のキヨヒメさんが凄すぎます。つい脱線してあれこれ書いてしまいました。長文ではございますが、どうかよろしくお付き合いください。
1970後半~1980年代
にかけて活躍した
大種雄馬 楓朝
楓朝の種雄馬成績
血統登録数 371頭
種雄馬登録数 35頭
種雌馬登録数 152頭
※日本馬事協会 登録馬情報より集計
リーディング
1975年 2歳1位
1976年 2歳2位/3・4歳4位
1977年 2歳3位/3・4歳2位
1978年 2歳3位/3・4歳2位
1979年 2歳3位/3・4歳1位/5歳以上2位
1980年 2歳6位/3・4歳1位/5歳以上2位
1981年 2歳1位/3・4歳3位/5歳以上5位
1982年 2歳8位/3・4歳3位/5歳以上1位
1983年 2歳6位/3・4歳5位/5歳以上2位
1984年 2歳10位/3・4歳4位/5歳以上3位
1985年 2歳8位/3・4歳6位/5歳以上4位
1986年 3・4歳7位/5歳以上5位
1987年 5歳以上5位
1988年 5歳以上5位
総合リーディングは 1979年と1980年
(市営協議会会報 Vol.2~19よりと地方競馬競走馬成績書より)
主な重賞勝ち産駒
アサミドリ<1973年生 芦毛 牡>イレネー記念、ばんえい大賞典 他
トクリュウ<1973年生 芦毛 牡>ホクレン賞※
バンマサミ<1973年生 青毛 牝>ばんえいオークス
キョウエイ<1974年生 芦毛 牡>岩見沢記念、北見記念、チャンピオンカップ(2回) 他
キヨヒメ<1974年生 芦毛 牝>ばんえい記念(3回)、岩見沢記念、ばんえいプリンセス賞※ 他
キタノフジ<1976年生 芦毛 牡>ばんえい菊花賞、ばんえいダービー、岩見沢記念 他
サワラローズ<1977年生 芦毛 牝>黒ユリ賞
ホマレタイショオ<1977年生 鹿毛 牡>ばんえい文月賞※
クインローズ<1978年生 青毛 牝>クインカップ
ホマレエース<1979年生 芦毛 牝>クインカップ、ばんえいプリンセス賞※
キンタイコー<1980年生 青毛 牡>帯広記念、岩見沢記念、北斗賞※ 他
セイフウ<1981年生 青毛 牝>ばんえい大賞典 他
(「市営協議会会報」と「地方競馬の歩 資料編」より)
※ホクレン賞は1968~2006年に実施されていたイレネー記念に並ぶ伝統の2歳重賞
※ばんえいプリンセス賞は1977~2009年まで行われていた3歳牝馬重賞
※ばんえい文月賞は1976~1986年に実施されていた3歳重賞
北海道種雄馬名鑑に掲載されている記事によると、楓朝の生涯の交配頭数は1,150頭、生産頭数は615頭です。種雄馬紹介コラムで一番最初に取り上げた二世ロッシーニがの交配頭数が1430頭で産駒が808頭。供用年数は楓朝のほうが5年ほど短いので、年間の種付け頭数はほぼ同じくらいだったろうと思われます。2歳違いの2頭は70年代後半から80年代のばんえい競馬を席捲した偉大なペルシュロン種の種雄馬でした。
なお、重種馬の生産頭数と血統登録頭数にはかなり開きがあります(昔は登録しない馬も多かったのです)。私が閲覧できた資料で、交配頭数と生産頭数の記載が見つかる馬は、二世ロッシーニと楓朝しかいません。この2頭は、交配頭数や生産頭数を特筆しておくほどの人気種雄馬だったのです。
楓朝は父タンブーの「ブー」から楓(フウ)の字を当てられ、母の朝禄から一字を貰って名づけられています。父母の名の文字や音を引き継いで漢字二文字の馬名が付けられるのは、十勝種畜牧場の命名方法で、以前とりあげた鉄鯉も同様です。
母朝禄は、十勝種畜牧場に古くから続く牝系の出身で、父はロジ、母の父はラブレーと、十勝種畜牧場が仏国から輸入した種雄馬の血を受け継ぐ優秀な種雌馬でした。朝禄の産駒にはタンブーの回で紹介した朝旦がおり、その牝系は現代にも伝わっています。
父母から優れた遺伝子を受け継ぎ、体高は177㎝と純血ペルシュロン種としては大柄で、管囲も胸囲も太く、骨量と体積に富むに優れた馬体の持ち主でした。
楓朝は国有の貸付種雄馬として、旧網走支庁の紋別市供用されました。
体格に優れた国有種雄馬ではあったものの、配置された紋別市のある北見地方には'72~'76年に4年連続でリーディングを獲得しているオナシスや、同じく70年代にリーディング上位の常連だったアプレスという名種雄馬がいたこと、2年年長で一足先に網走市で供用されていた二世ロッシーニ産駒の評価が高かったことなどもあり、供用当初はさほど注目されていませんでした。
しかし2世代目の産駒のアサミドリ(イレネー記念)、トクリュウ(ホクレン賞)の2頭が2歳重賞を取ったため評価が一変します。この世代の産駒は優秀で、アサミドリは3歳になってばんえい大賞典を勝ち、バンマサミがばんえいオークスを制しています。
2世代目が世代戦で楓朝の名をあげましたが、3世代目からは晩成型の名馬を輩出し、楓朝の評価を揺るぎないものにしました。キョウエイとキヨヒメです。
そして70年代後半から80年代にかけて一時代を築く大種雄馬となりました。直系の父系はケンジュオーしか残っていないのですが、種雌馬登録数は152頭と多く、楓朝の血は母系を通じて現在も多くの競走馬に伝わっています。
高重量戦の女王 キヨヒメ
キヨヒメのばんえい記念成績
1979年(5歳) 10.21(旭川)曇 馬場水分6.5% 勝ちタイム2.36.8
2着馬テツワカ 3着馬ダイケツ
1980年(6歳) 11.9(岩見沢)雪 馬場水分3.1% ダイケツの3着
1981年(7歳) 11.15(帯広)雨 馬場水分3.4% 勝ちタイム4.16.8
2着キョウエイ 3着カイリキ
1982年(8歳) 11.21(北見)曇 馬場水分1.5% 勝ちタイム5.09.6
2着キンタロー 3着キョウエイ
楓朝の代表産駒と言えば、ばんえい記念を3勝したキヨヒメが筆頭に上がると思います。
ばんえい記念で牝馬が優勝する……近年のばんえい記念を見ているとなかなか想像がつかないと思いますが、キヨヒメはばんえい記念が1トン定量(当時は牝馬-10㎏)になってから唯一の牝馬の勝ち馬※です。それも3勝!最初のばんえい記念はなんと5歳時に制していて、6歳時も負けはしたものの3着と上位入線をしています。勝った時の記録を見ると、競馬場や水分量などあらゆる条件で勝っていることがわかります。
また、2度目に勝った1981年のばんえい記念には、キヨヒメ、キョウエイ、キタノフジと3頭も楓朝産駒が出走しており、結果は楓朝産駒の1、2着です。楓朝がいかに高重量戦に向いた種雄馬だったかを証明するような成績です。
3勝目を挙げた年は、後にばんえい競馬史上初の1億円馬となるキンタローを破っています。負かしてきた相手も超一級の馬達でした。
なお、先のタンブーの記事で紹介したフクイズミは2000年代に入って唯一ばんえい記念で連対した牝馬です。楓朝を通じてキヨヒメを、ヘイセイシルバーを通じてフクイズミを、タンブーはばんえい記念史に名前を刻んだ2頭の芦毛牝馬を送りだしています。
キヨヒメ7歳時の競走成績を見ると、連対しているレースの斤量は830㎏~990㎏。逆に660㎏のオープン戦ではしんがり負けをしています。高重量戦こそが彼女の活躍の場所でした。また、現役ラストイヤーの地方競馬競走成績書には出走馬体重が載っていました。9歳時キヨヒメは971㎏~1050㎏でレースに出ています。
「輓系馬の体型と能力に関する調査報告書」(1994年日本馬事協会発行)というばんえい競走馬の体型を調査した研究レポートがあります。(これは超絶面白いので、いつかきちんと紹介したいです)これによると、1992年に帯広競馬場で測定した4歳以上の牝馬75頭の平均馬体重は969.8㎏(標準偏差53.2㎏)となっています。キヨヒメの現役時代はこの測定調査より10年前のこと。彼女は当時の競走馬としては非常に大型な馬でした。
キヨヒメは楓朝の最も優秀かつ一番特長を受け継いだ産駒だったのではないでしょうか。そして、その資質こそが、楓朝のサイアーラインがなかなか発展しなかった理由ではないかと推測しています。(次回カズミノルに続く)
※ばんえい記念が1000㎏定量になる前にはダイニミハル(父は先に書いたオナシス)という牝馬が2勝しています
※旧馬齢は現在の馬齢に置き換えて記載しています
参考資料
種雄馬のコラムについては以下文献やサイトをもとにテキストを書いています。★印のついているものは現在ネット上から閲覧できるものでリンクを貼っています。
・ばんえいスタリオンズ vol.4 田島芳郎著
地方競馬全国協会機関広報誌「ハロン」1997年8月号連載
★日本馬事協会 登録馬情報
★ばんえい DRAFT RACE
市営協議会会報 vol.2~vol.19
・日本競馬の歩み<資料編>田島芳郎 著
2009年 ㈱サラブレッド血統センター発行
・北海道種雄馬名鑑 思い出の名馬三十年史
・地方競馬競走成績書
地方競馬全国協会発行
・輓系馬の体型と能力に関する調査報告書
1994年 日本馬事協会
・輓曳 これまでそして明日から ②ばんえい全盛時代 田島芳郎著
週刊競馬ブック2007年1月28日号掲載
写真提供:ばんえい十勝
種雄馬の写真はばんえい十勝広報様よりご提供いただきました。
キヨヒメの写真は市営協議会会報vol.13から、ばんえい十勝様より許可をいただいて転載しております。
無断転載はせず、掲載写真については、ばんえい十勝広報までお問合せ下さい。